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きょうのことば
" 子曰く、過ちて改めず、是れを過ちと謂う ""孔子"
軍争の難きは… |
作者: 代表取締役 高橋洋人 | |||
今日は遅くまで少し残り、今日締め切りのプロジェクトを見守りながら、残務処理。 最後に一人、健気に最後まで仕事をやりきり、オフィスに残ったコウちゃん。 「キミはガンバリ屋さんなんだね。たまには送るよ…。」と、帰りがてら一緒に食事をとりました。 と書くと、タカハシが柴咲コウよろしく。うら若い女性スタッフと二人っきりで食事に行ったとでもとられるかもしれないが、ソラコムの皆さんはご存じ。アベのコウチャンの事である。 別に、コウちゃんと金曜の夜、二人っきりで食事に行くことが残念だ、と言っているわけでは、無い。ちょっとだけ、だ…。 「幸楽苑」で中華ソバをつつきながら、どんな風に才能を伸ばして行けば良いか、というような話。 ちょうど最近のコウちゃんの困りごとを思い浮かべ、頭に浮かんだのが「逃げ弾正(だんじょう)」という言葉。 最前線には出ず、コツコツと裏方に徹するのを主たる役まわりとする。その才があるんじゃないか、と感じたわけだ。 「勝つも負けるも平家の常」というように、勝負事はもちろん、オシゴトも常に上手くいくわけじゃない。 時には敗戦処理のような事も必要で、それは「飲食店などでのクレーム対応」や「製造業でのリコール、不良品対応」などにあたるだろうか。すなわち、真に望ましい社会人はなにも、「スパッ!」と仕事を終わらせられる人だけではなく、「何か問題が起こった時に、関係者全員が納得できるよう丸く収められる」というような後備え(事後の収束処理)なども必要なわけである。 これは、食事にたとえれば誰でもカンタンに理解できることで、たとえばいくら栄養分の多いものをどんどん食べようと、胃腸が上手く処理しなければ何の栄養にもならない。営業や目立つ仕事が食事をはこぶ「口」や「手」だとすれば、後に備えて事後処理する役割が「胃腸」にあたるわけだ。 さいきん「失敗学」という学問に注目が集まっている。工学院大の畑村 洋太郎さんや立花隆さんなどが提唱しているひとつのperspectiveである。 ひとことで説明すると、「失敗をなじるのは簡単だが、失敗は起こるべくして起こる。真に研究をしなければいけないのは、『なぜ失敗がおこるのか?』というメカニズムであり、この追及により起こるべくして起こる失敗は防げる」といった趣旨だろうか。 皆さんの周りにも、一度はそんな人がいて複雑な気持ちになられたこともあるのでは、と思う。たとえば。 「ゴメンナサイ」「スミマセン!」が口癖で、いつも責任を押し付けられている気弱サン。 「いいか?根性だ。来月の生産は2倍にする。今の2倍力を出せばラクに達成できる」という訓示のある根性工業サン。 あるいはJR福知山線脱線事故で指摘されるような、一種特殊な精神的に追い詰めるだけの反省手法(一部の日勤教育)。 褒めるだけでもダメであれば、叱るだけでもダメである。従事者、監督者を含め真摯な内省が必要なわけである。そして、それを討議していく。 組織には、真摯に失敗に向かい合い、失敗と対話していく裏方が大切なわけである。 対話を通して、失敗を減らし、失敗の際の被害を最小限にする。更には失敗を再帰や反撃の大きなバネにするつわものもいる。目立たず地味で、損な役回りに見えるが、これほど偉大な役回りはなかなか無いわけである。 さて「逃げ弾正」とは武田(信玄)の三弾正(偉い役人。転じて有名人)の一人。 戦争上手の「攻め弾正」は真田幸隆。 槍の使い手。これも戦争上手の「槍弾正」は保科正俊。 最後に裏方、逃げの天才「逃げ弾正」の高坂昌信(春日虎綱)。この人である。 ファミコン世代の人は、「信長の野望」というゲームをやった時に、一人だけカッコイイフルフェイス兜を付けたこの人を覚えている人も多いかもしれない。あの人である。 『甲陽軍艦』という戦国時代きっての兵学書の著者とも言われ、稀代の知謀家・軍人と言われている。 この人が偉いのは、とにかく冷静。控えめ、そして残務処理の鮮やかさである。常に武田軍の敗戦のときは一番うしろ(殿:しんがり)を務め、追ってくる敵をあしらったと言う。時には信玄に諌言などもし、深追いややり過ぎを諫めたと言う。いろんな意味で…、戦国の猛虎、信玄の懐刀であったわけだ。 ところで、掲題の孫子である。 「軍争の難きは、迂をもって直となし、患をもって利となすにあり。故にその途を迂にしてこれを誘うに利をもってし、人に後れて発して人に先んじて至る。これ迂直の計を知る者なり。」 「迂」とは「迂回」のこと。遠回りである。「直」とは近道。 失敗をしたら一度、冷静に「これからどうしたら良い」のかを考える。普通、失敗をしたら「急いで取り戻さなきゃ」と思うが、急ぐ前に一度遠回り(迂)。冷静さを取り戻さなくてはいけない。とはいえ、お茶をこぼして「さてどうしよう?」とただボーっとしているのはマヌケである。とりあえず応急処置は往々にして必要であろう。 その間に態勢をととのえ、次に備えた戦略を立てる。そして、一気に片付ける(直)。事が複雑だったり大きければ、一度では済まないのでまた、冷静に考える。その為の時間を作る。(迂)
ここで重要な事はひとつ。それは「常に相手も仲間も、いつまでもタダ待っていてはくれない」ということ。 これも想像に難くない。指を切って血を流している友人に、「ちょっとまて、いま『迂をもって』だなぁ…」などと言っていたら一生恨まれるかもしれない。 応急処置や、正当な理由、説得などありとあらゆる方法を使い、最善の道を模索するのだ。
言うは簡単だが、孫子ほどの策略家でも「難き(難しい)」というほどのもの。一朝一夕で身に付くわけでは無い。
ただ、決定的な素質の違いはある。それはつまり、「負け(失敗)は常につきもの」と自覚し、頭だけではなく、実際に汗と冷や汗をかき、失敗と真摯に向かいあった人間だけが、真の「逃げ弾正」になれるわけだ。
と、こんな風に考えるとふしぎなものである。「稀代の兵法」も突き詰めて考えれば、汗をかいた練習や経験が必要、ということ。小手先だけでも、ダメだよってこと。
しかし翻って言えば、書物や理論もべんきょうして、かつ経験や練習も。というのがベストなのでしょうね。
なんとも当り前の事が、結びになってしまいました。
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